ラテンの貴公子、RICKY MARTIN
2005年 05月 08日
また、サッカー好きの人なら、1998年のサッカー・ワールド・カップの公式テーマ曲を歌った人として知っているかも。パリでの決勝戦前の彼のパフォーマンスは全世界で20億人が観たとされていて、英語とスペイン語でリリースした同テーマ曲、"The Cup of Life / La Copa de la Vida"は、ラテン音楽としては驚異的な800万枚のCDが売れたとして、新記録を打ち立てた。もちろんアメリカでもインターナショナル・チャートの1位に入り、"TIME"誌の表紙を飾ったほどブレイクした。
マイノリティーなラテン・ミュージックで、彼が1998年にブレイクしただけでも驚いたが、その時自分はもう一つの驚きがあった。と言うのも、彼は既に1985年の時点で日本に来日していたからだ。
名前がアメリカ風の呼び名になっていたので気づかなかったけれども、スペイン語風の名前の呼び名はエンリケ・マルティンと言う。初来日から14年経った彼があんなにイイ男になっていたのにはほんと驚かされた。
公にはあまりなっていないけれども、彼は10代半ばですでに音楽業界入りをしていて、ラテン版ジャニーズみたいなグループ、「メヌード」の一員として活躍していた。「メヌード」は5人組で、16歳になると脱退をして、また新メンバーが加わるという、「永遠のアイドル・グループ」だった。
1985年に来日した時は、レコードもリリースして、第14回東京音楽祭に参加していた。
では、当時の彼を振り返ってみましょう!(黄色いシャツがリッキー)
リッキー(エンリケ・マルティン)
1971年12月24日プエルトリコ生まれ。
身長152cm。
目と髪は茶色。
1984年9月からメンバー加入。
スポーツが大好き。
英語と科学が得意。