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音楽にまつわるあれこれ


by august_moon
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平松愛理 / Hi-hats "秘密の小部屋" 2003年9月1日 恵比寿GUILTY

平松愛理 / Hi-hats \"秘密の小部屋\" 2003年9月1日 恵比寿GUILTY_c0026024_3574063.gif

【演奏曲目】
-平松愛理-
1. You Are Mine
2. 思い出の坂道
3. 待ってもいいよ
4. Let's See Under The Sea

-Hi-hats-
1. 自分次第。
2. Pa-la-pa
3. 種類
4. 大人になったら

 生の平松愛理さんに会うのは約一年と半年ぶりだった。今回はライブというより、「ファンの集い」イベント。昨年の4月に休業宣言をしてから、彼女はあまりメジャーな活動はしていなかっただけに、今回の集いには是非とも参加してみたいと思っていた。

 今回も事前に彼女のホームページを見たら、ファンクラブの会員向けに、またしても意味深で強烈なメッセージが書かれていた。「私は生きたい。私は自分自身でありたい。そのために。」と。彼女の休業中の活動については、テレビの密着ドキュメンタリー番組などで拝見していたが、昨年の暮れにハワイで行なったファンクラブ・ツアーや、年明けに神戸で行なわれた阪神淡路大震災チャリティー・ライブといった、限定的で極々わずかな人たちしか彼女の姿に会えない活動しか行われていなかった。でも今回のイベント開催場所は、東京都恵比寿。ドキュメンタリー番組で見た後の、「今の」愛理さんに会える貴重なチャンスだった。

 今回のイベントは、平日月曜日の夕方6時開演と少々早めだっただけに、お客さんの入りを心配したけど、5時半の開場30分前から既に会場の外には人の列が出来ていた。

 さて、いよいよ入場の時。入り口で、参加予定者リストで自分の名前を確認してもらってから、ドリンク引き換え用ギター・ピックをもらって、会場の中へ。休業中といえどもやはり注目の人物であるだけに、会場の後方にはマスコミ用のスペースが確保してあった。

 今回のイベントの参加費用は3,000円で、ワン・ドリンクとなんと「軽食付き」。ギター・ピックをドリンクと交換してもらってから、会場の横に用意されていた、オードブルを軽くひとつまみ。開演までは30分もあるので、ゆっくり夕食代わりに食事をしたいところだったけれど、今回は座席もなく、オールスタンディングで、背中に荷物を背負いつつ、片手にドリンクで、もう一方の手で、紙皿とハシはさすがに持てないので、ほんと軽食という程度しか、口に出来なかった。

 そして待ちに待った開演時間。大きな拍手に迎えられて、愛理さんの登場。「みなさ~ん、こんばんは。平松愛理です!」と、挨拶する元気な姿を久々に見て、一安心。今回のイベント参加人数は200名ぐらいだっただろうか?小さな会場で、立ち見の割には随分と狭く感じた。それに前の方にいる背の高い人たちに遮られて、立っている愛理さんの顔をかろうじて見れるといった感じだった。

 このイベントを開催するにあたり、ホームページの掲示板でも会場がライブ・ハウスなだけに、あたかも最初から最後まで、ライブをしてくれるものと、勝手に盛り上がっていた、ファンの様子を見て、「これはまずい」と思った愛理さんは、一言、「しゃべらせてよ!」とトーク中心のイベントとなることをほのめかしていた。

 まずは最近の近況報告から始まった。つい先日まで行ってきた、ハワイでの1ヶ月間の出来事では、初日に娘さんがお風呂で転んで頭を切ってしまい、看病生活から始まり、ついには自分も看病のための寝不足で、倒れてしまったことを語ってくれた。でも転んでもただでは起きない愛理さんは、チャイナ・タウンに行って鍼を30本さしてまで、ボイス・トレーナーの所に通ったそうだ。でも笑い話になっていたのが、チャイナ・タウンといえば、中国人がやっている鍼治療院かと思ったら、なんとサモア人で、「これはどこのツボですか?」と尋ねても、「ワカラナ~イ、ワタシ、シュギョウチュウ」という返事しか返ってこなかったそうだ。それで最後には、結局痛いところ全部に置き鍼をしたのが、30本だったというわけ。
 
 それからボイス・トレーニングの先生だったのは、ハワイでは有名な歌手で、ハワイアン・ソングとハワイアン・スピリットを学びたいということで会いに行ったのだけど、2回目の時に、近々行なわれる先生のステージに出てみないかと誘われて、「やります~っ!」と答えて、ハワイ語と知らない曲を一生懸命覚えて、ステージに立ったそうだ。でも当日まで聞かされずにいて、実際に驚いてしまったのは、そのステージというのが、カメハメハ3世を称える厳粛な儀式だったとのこと。だから本当は赤いムームー(ハワイの民族衣装)を着たかったのだけれど、黒い洋服を着てくるように言われた理由にようやく納得が行ったそうだ。でもいろんな国の人が歌ったり、踊ったりする厳かな儀式で、自分が出演してしまっていいのか?と迷ったらしい。なぜなら、愛理さんが、「日本人代表」として出演してしまったのだから。(会場では実際にその時のビデオ映像を見せてくれた)。

 そのステージを終えた後、あまりにも感激して泣いてしまったらしいのだけど、思い出ついでに、ロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センター内にある写真館に行ったそうだ。そこではかなり作りこんだ写真を撮ってくれるのだが、店先で迷っていたら、店のおばちゃんが、「アナタモ、テンシニナレルヨ」と声をかけてきて、「天使」という言葉に弱い愛理さんは、「じゃあ、やりまっす!」とまたまた飛びついてしまったそうだ。(そして会場ではその写真をモニターに映し出してくれた)。会場からは、「お~っ!」と驚きの声があがり、「おっ、リアクションあった!やった!うれし~い!」と愛理さんは喜んでいた。でも写真を撮られ慣れている愛理さんは、店のおばちゃんに、「アナタ、ナンカ、マズシイヒト、ミルメツキ・・・」と余計な一言を言われたらしい。

 それで話題を変えて、駐車違反の話に。
 実はこのイベント当日に、駐車違反がたまって鮫洲(東京都、 鮫洲運転免許試験場)に呼び出されていたのだけれど、この日のために延期してきたらしい。最初のレッカー移動はコイン・パーキング300円のところに、100円しか入れなくて、二回目は時間オーバーで、三回目は表参道で捕まったとのこと。哀しくも可笑しい話に、会場からは笑い声が上がった。

 そんなこんな近況報告をしているうちに、時間がおしてしまったので、「ちょっとあたし、歌いません?」と言って、用意されていたエレピの前に座った。「え~っ、それで何を歌おうかなぁと思うんですよね・・・。あの~っ、(楽譜)一杯持ってきたんですけど、じゃあ、ばーっと言うから・・・」と言って、早口で曲目を読み上げた。そして「どれ(がいい)?」と言って、また会場を笑わせた。

 会場からの第一声は、"You Are Mine"だった。やっぱりこの曲でしょうと、会場の全員がうなづいたはず。なぜならこの曲はCD未収録の曲だから。そしてこの曲は、ガンになってから唯一書き上げた曲で、"You"というのは、「すべてに対する愛」だと愛理さん自身も完成させてから気づいたそうだ。「♪You Are Mine, You Are Mine あなたか私が死んでも・・・♪」と歌うこの歌詞は、いつも涙を誘うのだけれど、今日は愛理さんも悲しげな表情はなく、凛々しく見えた。

 2曲目に移る前に、ワンピースの上に羽織っていた、カーディガンがずり落ちてくるということで、衣装担当のアシスタントに急遽両面テープで止めてもらいつつ、時間を妙に気にしていた愛理さん。「今日はちょっと(時間)おしちゃうなぁ・・・でも、みんなほら、新幹線の時間とか、あるじゃ~ん・・・!」って、葛藤していた。「私今日ね、皆さんの場所を全部調べて、どこそこへ帰る方は何時何分の新幹線に乗ると間に合います、と全部言うと言ったら、やめたほうがいいと反対されたんですけど・・・」と今日集まってくれたファンのことを思いやってくれた。

 カーディガンが落ち着いてから、2曲目はファンにも長い支持を得ている曲、「思い出の坂道」を歌ってくれた。

 3曲目に何を歌うかを決めるまで、随分とリクエストが上がったけれども、散々迷った挙句に、「個人的には「待ってもいいよ」を歌いたいんだな・・・」とボソッと呟いて、ファンの皆は「本人が歌いたい曲が一番!」と声をかけ、「みんな優しいなぁ・・・じゃあ「待ってもいいよ」にし~よお」ということで、決定した。

 歌い終わってから、「そろそろ秘密の小部屋の扉を少し、開けてみましょうね・・・」と今日のイベントの確信に迫る発言。
 そして語りだした。「その~っ、秘密の小部屋の扉なんですけども、長い間ね、私の心の中で閉ざしていた扉みたいなものですかね・・・心の奥の奥の奥の方の、そこを開けてみようじゃないかと・・・。そこの扉を開けたところには、私が今まで言いたくても言わなかった言葉、言えなかった言葉とか、あと溢れていても伝えなかった想いだとか、それから、そうですね、思っていても表現しなかった気持ちとかがあります。そしてそれって一番の本音なので・・・人は大体一番自分の心の中の核となる部分、見せないですよね?なぜかというと、そこを見せて、否定されたり、拒否されたり、受け入れてもらえなかったりすると、とっても傷つくから。もう立ち直れないから・・・。私もそんな風にして生きてきました。それはある種、非常に正しい生き方だと思います。人間って必死でどこか自分が傷つかないように守りながら生きていくものだと思うから・・・。だけど私はガンになってから、ガンというのは体の細胞だけじゃなくて、心にも進入してきたんですね。で、降ってくるメロディーとか、言葉とか、一杯なんか落ちてくるんだけれど、フッと掴んで、中を開けてみたら、えっ、こんなこと考えていたんだとか、こんなものが溜まっていたんだとか、私ってこういう人だったんだとか、すごく自分でもびっくりしました。「よしっ!書き留めてみよう。」きっと神様が書き留めろって、言っているんじゃないかなという気持ちもしました。それで、書き留め始めたんですけど、なんって平松愛理っていう人の作る音楽とは掛け離れたものなんだろう、これって、自分でもびっくりしたんですが、一応書き続けました。ていうか、降ってくるんですよね。で、ほんとその音楽が掛け離れているっていうことを、自分でも驚いて、理由を考えてみたんですけど、あっ、そうか!音楽を作る原料というか、元の材料がですね、心だからだ、だから作品が変わったんだ、っていうことに気づきました。で、まあ、なんか病気のイメージが定着している平松愛理・・・、自分が平松愛理だと思うと、歌が書けなくなってしまう・・・。で、本名の清水絵里。ただ一人の人間として、歌を書こうと思うと、自然に一杯落ちてくるんですよね。不思議ですよね、同じ体、同じソウル、同じスピリット・・・全く同じなんですよ。だけどどうしても平松愛理の曲が書けなくなってしまって、でも平松愛理に似せて私が書くのはおかしいですよね?それは変だなという風に思って、それで、まあ、私の中に、つまりその、本名の、ほんとの私の心の中から湧いて出てくるものというのは、これはもう本音以外の何物でもなくて、さっき言ったように、否定されるとものすごく立ち直れないぐらい辛い部分ではあるんですけど、でも勇気をもって発表してみようと思いまして・・・」
 「で、まあ、こんな時期、が一生のうちにあってもいいんじゃないかなと自分でも思ったし、こんな風にしか自分自身を表現できない、こんな風にしか生きれない、でもこんな風にして私はどうしても生きたいなと思いましたし、自分自身でありたいなと思いました。それが私の核となる部分を、大切な皆さんに見せてしまうということに繋がるんですけど、これを堪能したらですね、本名清水絵里はやがては平松愛理の歌をもまた書けるようになるという風に信じています。多分その日が来ると思います。ということで、その天から降ってきた言葉を配ろう!と思って準備してます!」

 と、長い前置きが終わって、会場に配られたのは、"Hi-hats"と表紙に書かれた、歌詞のコピー。
 愛理さんが、休業宣言をした時もショッキングだったけれども、今日この心の声を聞かせてくれたのも非常に驚きだった。なんと勇気のある人だろうって・・・。普通の人だったら、ほんとは人には見せたくない部分をあえて自分自身と向き合うために、公表するなんてって思った。

 そして質疑応答の時間として、歌詞についてや、愛理さん自身について、何でも答えますということで、時間が設けられた。自分も含め皆必死にその歌詞に見入っていた。なぜなら、質問が出てくる以前に、先に述べていたように、あまりにも平松愛理さんが書く歌詞とは掛け離れていたから。言葉を列挙するならば、「痛み、命、死、運命、怒り、憎しみ、悔しさ、切なさ」等。

 実際歌詞の意味や内容に関する質問は出なかった気がする。つまりはファンの皆が清水絵里の心の叫びを受け止めたことになるのだろう。歌詞を公表すること自体が、心の扉を開けることであり、それ自体とても勇気のいることなのに、さらにその歌詞の内容についての質問を受け付けようとは、なんと勇気のある挑戦をしているのかと思った。歌詞を読んではっきり言えたのは、平松愛理さんの歌詞は、ファンが主人公になれる歌詞を意識して書いてきたもので、清水絵里が書いた歌詞は、清水絵里自身が主人公という視点で書いたものだった。

 そんな風に短い質疑応答の時間が終わり、お楽しみとして、ハワイで買ってきたおみやげの抽選会に移った。

 そして残った時間で、昨年末にファンクラブ・ツアーで行ったハワイで、皆で作詞をして完成させた曲、"Let's See Under The Sea"を、披露してくれた。

 これで今夜のイベントの前半が終了。約1時間ぐらいだった。
 愛理さんは軽く挨拶をして、再び軽食が出されるので、しばしご歓談をということで、「この後、秘密の小部屋の意味が明かされます・・・。ねっ!楽しいでしょ?楽しいでしょ?楽しいでしょ?」とピョンピョン跳ねながら楽屋に戻っていった。


 さて、30分ほどの休憩時間を挟んで、待ちに待ったイベントの後半がスタート。
 照明が落ち、テクノ・サウンドが流れ、モニターとスクリーンには愛理さんの舞台裏のような様子が映し出された。そしてテクノのBGMが鳴り終ると、スクリーンが上がり、すっかりメークも衣装も変わったサリー(平松愛理)がいた。
ファッション的には60年代のブリティッシュ・パンクを意識したようなものだった。

 特別ゲストとして、ギタリストが参加していて、サウンド的には、ファンクぽくもあり、クラブ系ダンス・サウンドぽくもあり、ハードロックぽくもあった。

 そして4曲をハードに歌いきって、スタッフやファンクラブの皆にお礼を言って、舞台を降りていった。


 今夜のステージは、本当に一夜限りのステージだった。そのシークレット・ライブを観れたのも貴重だったけれど、久しぶりに元気な愛理さんを観れて良かった。愛理さんが、今の時期を経て、やがてカムバックしてくれる日を楽しみにしている。

 帰り際には、愛理さんのお母さんと一人娘の初一音(ハイネ)ちゃんを見かけた。初一音ちゃんはまだ小学校の低学年だから、「今日はもうママに会えないの?」と寂しそうに、おばあちゃんに語りかけていたのが、印象的だった。
by august_moon | 2009-06-30 03:58 | エピソード